


1954年にテレビ塔完成、1957年には日本における三番目の地下鉄が名古屋〜栄間で開通するなど名古屋市内の都市生活環境の向上に伴い、1959年には名古屋市の人口は150万人を突破。ガス販売量も急速に増加しました。
ガス需要の高まりに対応するため東邦ガスでは、コークスを原料としてガスを製造し、発生するガスの増熱を重油により行う「増熱水性ガス発生装置」を日本で初めて導入することにしました。
しかし、相対的に建設費が安価ですむメリットがある一方で、一酸化炭素の含有量が多いという課題に直面。安全なガスを提供するため、世界でも例を見ない一酸化炭素を可能な限り減らす変成装置を設置することを決断。多くの困難に直面しながらも1960年、変成装置を稼働させることに成功しました。
また、既存製造所の設備増強だけでは過熱化するガス需要に対応することは困難と予測され、新工場の建設が早急に進められました。当時、産業界でコークス需要が旺盛であったことから計画はコークス炉を中心に検討。1957年に起工式が行われた新工場の建設の一方で、名古屋ガスの創業以来の桜田製造所は廃止につながるなど、経済成長をしっかりと支える新時代の幕開けともいうべき出来事になりました。